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落語家、桂歌丸 肺炎を患いながらも落語に全うする覚悟

会場のステージ舞台が笑点っぽい

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落語家、桂 歌丸さん(かつら うたまる)は1936年(昭和11年)8月14日に生まれた。
神奈川県横浜市中区真金町。現在の南区真金町出身である。
本名は椎名 巌さん(しいな いわお)。妻は冨士子(ふじこ)さん。1932年生まれで歌丸さんよりも4歳年上である。笑点では、冨士子の名前は何度か登場しており、高座や大喜利でも恐妻として登場したこともあった。

そんな桂歌丸さんは小学生の頃から落語家としての力を発揮していた。
戦後は、まだ青空教室であったため体育の授業は自習時間だった。歌丸さんはその時間を利用して落語を行ったという。歌丸さんの落語は好評で他のクラスの先生なども興味を持ち、ぜひ落語を聞きたいという声もあった。その頃からすごい才能の持ち主であった。

大人気日本テレビ系、『笑点』は老若男女問わず愛される番組だ。歌丸さんはそんな笑点の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍した。歌丸さんは1966年5月15日の第一回目『笑点』から出演していた。その後も1978年4月30日にアメリカのサンフランシスコで海外公演なども行われた。
2006年(平成18年)5月21日から2016年(平成28年)5月22日まで5代目司会者を務めた。
司会者とても笑いをとる場面が素晴らしく、数々の話術やパフォーマンスで笑いをとった。
特に目立ったのが、女装や女性のカツラを被り大喜利メンバーも大ウケするほどの姿に『バケモノだ!』と言われていた。
そんな歌丸さん司会の笑点も最後を迎えることに。2016年(平成28年)4月30日に体力の限界を感じ、笑点の司会者を引退することを決意。

最後の答えで全員に10枚の座布団を渡すつもりだったが、最後の回答がひどかったために全員から全ての座布団を取っ払うという歌丸さんらしい終わり方というより、新しい笑点につなげるためのいい終わり方であり、新たな始まり方でもあった。
「50年間やってきた笑点なので、別れというのはさみしいものですよ。」と話して別れを惜しんだ。
新しく引き継ぎの新司会者は春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた)さんが選ばれ、桂歌丸さんは終身名誉司会者となった。

歌丸さんは、病気であるから噺家を辞めたいと妻に伝えた。妻である、冨士子さんは歌丸さんにこんな話をしたという。
「辞めるなら辞めていいわよ。ただし辞めてからどうするの?」、「落語家は落語しかできない、仕事は落語しかないんですよ。」と言われたそう。
歌丸さんは全てを辞めてしまうと考え、頭が真っ白になっていた。そのことを聞いてすっきりしたという。一生落語ということを決意したと話していた。
歌丸さんと言えば笑点で活躍していた人だと思う方も多いかもしれないが、今もなお落語会、寄席、数々のホールで落語を続けている。

歌丸さんは2008年6月に肺炎で入院しており、他にも手術や体調不良などで笑点や落語公演から姿を消していることがあった。その後も2010年、2016年、2017年に2回、肺炎を繰り返しており、入退院する生活をしている。

しかしながら、歌丸さんは決して落語をやめない。
以前に話した決意には固く一生の人生を落語という仕事に捧げている。

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